第五十一話 怨念
扉を開けた時、目に飛び込んできた光景はマナを愕然とさせた。
部屋の中央に黒い球体が浮かんでおり、その周辺を小さな黒い球体がグルグルと回っている。
エマの姿はどこにもない。怨念球に関する知識は、急いでいたためドンダから詳しく聞けなかったため、何が起きているのかさっぱり理解できなかった。
(でも、あの中央の黒い球体……あれにはとんでもないエネルギーを感じる……もしかして、あの中にエマが?)
黒い球体の中に、エマが囚われている可能性がある。
何が起きるか分からないがとりあえず攻撃してみよう、そう決めて光属性の攻撃魔法『ホーリーランス』を使用した。神々しい光の槍が出現する。マナはそれを手で掴み投擲した。
槍は猛スピードで、一直線に飛んでいき、球体直撃。轟音が鳴り響き強い閃光が迸った。まるで光が大爆発を起こしたような光景だ。
魔法を使ったマナ本人以外全員が驚愕しながらその様子を見ていた。ジェードランたちは、マナが力を取り戻して強くなったとは聞いていたが、ここまでとは予想していなかったようだ。
(さぁて、どうなる?)
マナとしては、あくまで様子見程度に使った魔法だった。最初から全力で行って、エマに大怪我を負わせるわけにはいかないだろう。
黒い球体の状態を確認すると、攻撃する前と何の変化もなかった。全くのノーダメージのようだ。全力ではなかったといえ、これは想定外の結果だ。
もっと強い魔法を使うべき? でも、もし中にエマがいたら、大怪我を追わせちゃうかも、マナが考えを巡らせていると、球体から声が響いてきた。
「我の邪魔をする愚か者がいるようだな……」
ドスンと、腹の奥底まで響き渡って来るような、低く重苦しいい声だった。思わず耳を塞ぎたくなるくらいの邪悪さを感じた。
直後、中央の黒い球体がパカリと二つに割れた。
「エマ……?」
球体の中から出てきた者を見て、思わず呟いた。
確かに出てきたのはエマだったが、正確に表現するとエマとは言えない別の何かだった。
顔や、体格、体型はエマで間違いないが、肌が黒く染まり、目が赤く光っている。純白だった八枚の翼も、漆黒に染まっていた。
「エマ? 我が名はレクタシオンである」
エマはそう名乗った。怖気立つほどの邪悪なオーラを放出しており、マナは思わず身じろいだ。肌をピリピリと突き刺すような感じに、恐怖心を感じざるを得なかった。
「同胞……それと……人間の子供……」
凍り付くような視線をマナに向けながら、エマは言った。
何の感情も入っていないその視線を感じて、これはエマじゃない、体をレクタシオンという名の怨念に乗っ取られているんだと悟った。転生する前にドンダが、体を乗っ取られるかもしれないというリスクがあると言っていたことを思い出した。
ドンダは力が完全に定着する前でなければ、怨念を封じ込めるのは不可能だと言っていた。今が完全に定着した状況なら手遅れだったという事になる。
どうなんだと不安に思ったが、
「まだ完全にこの体に馴染めたわけではないというのに」
レクタシオンがそう言ったので、少なくとも完全に手遅れはなかったようだ。
とはいえ、ドンダの話では怨念からエマを解放するには、封印球を額に三十秒間当てる必要があるという。完全に体に馴染んでいないということは、まだ百パーセントの状態ではないはずだが、それでも絶対的な力量差を感じていた。少なくとも一人で勝利することは不可能。仲間が数人いても勝てる見込みは少ないだろう。
30秒間動きを止めるだけというのも、そう簡単な話ではない。封印球は落としただけで割れるくらいの強度しかないので、本当に完全に動きを止めないと、破壊される恐れがある。
魅了するという方法もあるが、以前と同じく情報を見れないため、何が好みか分からないうえに、明らかに敵意を向けてきている。魅了するのは不可能と言っていいだろう。
確率が低くても動きを止めるしかない。マナは頭をフル回転させて、動きを止める作戦を練る。
「一人、二人、三人…………全部で十人か。それなりに実力があるやつもいる。全員殺すには少し手間がかかるな」
レクタシオンは、一人づつ指さしながらそう呟いた。
「貴様ら朗報だ。今ここですぐに立ち去れば今は殺さないでおいてやる。1秒の中断で100秒終わるのが遅れる。終わった後のは殺すが、どうせ死ぬなら後の方がいいだろう?」
威圧するような態度で取引を持ち掛けてきた。気圧されるが取引を受ける理由などない。ここで引くわけにはいかない。
マナはレクタシオンを睨み返した。
レクタシオンはそのの態度を見て交渉不成立を悟ったのか、素早く行動を開始した。足を蹴り上げ、一直線にマナに突撃した。
マナは咄嗟に防御魔法『シールド』を使用した。半透明の盾を作成し、物理的な攻撃を防ぐ魔法だ。一枚では防ぎきれないと感じたので、五枚同時に作成する。これは並みの術者では出来ない芸当だ。
レクタシオンはシールドを思いっきり殴った。凄まじい威力の攻撃に、ひびは入ったが割れはしなかった。五枚重ねにしたのが功を奏したようだ。
「ホーリーブレッシング!」
仲間を強化する魔法『ホーリーブレッシング』をマナは使用した。全員の頭上から光が降り注ぐ。その瞬間、力が湧き出て、困惑したような表情を浮かべていた。
(強化したけど……通用するかな?)
ハイレベルな白魔導士であるマナのホーリーブレッシングは、かなり強力だ。よぼよぼのお年寄りを、現役バリバリの戦士と対等に戦えるくらいに身体能力、反射神経など戦いに必要な能力を強化することが出来る。
しかし、それほど強化してもなお、レクタシオンに対抗できるかは自信がなかった。
「これならいける!!」
力が底上げされ、自信が出たジェードランが剣を抜きレクタシオンに向かって駆けだした。
元々強いジェードランが大幅に強化されたので、常人では目にも止められないであろうスピードを出しているが、レクタシオンは素手でジェードランの剣を受け止める。少しだけ力を込めて、ジェードランの剣をへし折った。
「なっ!?」
動揺したジェードランの腹を、レクタシオンは全力で殴った。防御力も上がっていたジェードランの肉体であったが、呆気なく腹を貫かれる。
「まず一人」
貫通した腹から拳を引き抜きながら、レクタシオンは言った。ジェードランからは視線を外し、次の標的を見定めるように見回す。
「ヒーリング!」
ジェードランが致命傷を負ったのを見て、マナはすぐに回復魔法を使用。
一瞬でジェードランの怪我が治った。
その様子を見て、レクタシオンは不愉快そうに、表情を歪める。
「面倒な。最初に貴様を殺すべきのようだな」
自分が標的になったとマナは察して、身構える。レクタシオンが凄まじい速度で走り出し、マナの頭めがけて手刀を放ってきた。何とか反応し、頭に直撃するのは避けたが、完全には避けきれず、肩から腕を斬り落とされた。
マナは自分に回復魔法をかけて、腕をあっさりと生やした。その一連の流れを、一同絶句しながら見ていた。
「さ、さっき腕が……み、見間違いか?」
「い、いや、地面に落ちてる!」
あまりの治癒能力の高さに、一同驚愕する。
「ふん、面倒な」
レクタシオンは厄介な敵だと認識したようだが、マナは内心追いつめられた気分でいた。
(う、動きが早すぎる。攻撃力も高い。これじゃあ、即死を避けるのが精いっぱいで、攻撃は食らっちゃう……魔力も無尽蔵にはない……)
レクタシオンの戦闘能力は、想像を遥かに超える高さだった。魔力が切れるまで攻撃を食らい続ければ、治癒も出来なくなる。そうなると、待つのは死あるのみだ。
何か突破口はないかと、焦りながら考えるマナに、レクタシオンが絶望的な情報をもたらす。
「本気を出すと力の消耗が大きくなるからやめておきたかったが、粘られると面倒だし、出しておくか」
(ほ、本気じゃなかったの!?)
さっきまでので、本気じゃないとすると、本気ならどれだけの強さなのだろうか、マナには想像もつかなかった。
――か、勝てる気がしない。
圧倒的な力の差に、マナは絶望しかけていた。
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