第一話 幼女転生
「――準備は終わった?」
荒野の中心にポツンと立つ寂れた神殿の中で、女が問いかけた。
「もう一度問うが、本当にやる気か?」
しゃがれ声の精霊が、女の質問に質問で返した。
体が大地で構成されている、土の精霊と呼ばれる存在だった。
「やるよ。やらないわけにはいかない」
「……お主のやろうとしていることは自殺に近い」
土の精霊は無駄と分かりつつ、最後の説得を試みようとする。
「転生の術。現世での自分の身を捧げ、来世に自分の記憶を引き続ぐ術だ。この術は翼族用の術で、人間であるお主がおこなっても成功するかは分からん。全く記憶が引き継げぬか、記憶に欠落が出る可能性がある。それでもやるか?」
女は覚悟を決めた表情で黙ったまま頷いた。
「ならもう止めぬ。準備はもうすでに終わっておる。あの転生陣の真ん中に行け。十秒ほどで転生は完了する。痛みや苦しみはない」
土の精霊は近くにある陣を指差してそう言った。
女がそこに向かって歩き出す。
「最後に念のため言っておくが、転生後記憶があった場合は必ずここに来るんだぞ。そうすれば、お主はこの時代に身に着けた力を取り戻すことが出来る。力がなければお主の目的は到底果たせんだろうからな」
「分かってるよ」
忠告に返答した後、女は転生陣の中心までゆっくりと歩く。
「今行くから――待ってて――」
――――――――――――五百年後。
アミシオム王国のバルスト城、とある春の日。
ふかふかのベッドの上で、幼女が目を覚ました。
小さな体を起こすと、
「痛っ!」
と強烈な頭痛を感じて、幼女は頭を押さえた。
痛みが治まるまで、じっと我慢をする。
数秒後、痛みが引いてきた。
「えーと…………あれ? ここどこ? ん?」
当たりをキョロキョロと見回すと、まるで見覚えのない場所であった。
天蓋のかかったふかふかのベッドに、高級な家具の数々。窓は付いていない。部屋の中を照らすのはロウソクの明かりだけだったので、薄暗かった。
幼女はゆっくりとベッドから身を下ろして、部屋を歩き回る。
「何か視線が低いような……えー? 手も小さい……ど、どういうこと?」
自分は20年生きた、大人の女のはずだった。それなのに十年も生きていない子どものように手が小さい。目をこすって見て何度も確認したが、変わることはなかった。
何かがおかしい。
どういうことか確かめるため、部屋にかけてあった鏡で自分の顔を見た。
「だ、誰、この子」
真っ白い肌に、青色の長い髪。
顔立ちは非常に幼い。年齢は五歳前後だろう。
記憶の中にある自分の姿は、もっと肌の色は濃かったし、髪の色も黒かった。
二十歳なのに、こんな幼い顔立ちであるというのも、明らかにおかしい。
記憶にある自分と大きく異なるその姿に、大いに戸惑う。
「痛っ!!」
再び頭痛が襲ってきた。
頭を押さえその場でうずくまる。
三十秒ほど痛みは続いた。
痛みが引いた時、彼女は自分の状況を思い出した。
「思い出した。アタシ転生したんだった」
(アタシの名前は……転生前はマナ・メリシア……転生後はマナフォース・ベルファドレイル……今の名前はなんかやけに豪華だけど、名前にマナって響きがあるのは同じなのね)
名前が似ているのは分かりやすくていいと思った。
これからは親しくなった人には、マナと呼んでもらおうと彼女は考えた。
マナは改めて鏡を見て、今の自分の姿を確認した。
癖のない綺麗な青い髪に、雪のように白い肌。
大きな目に、小さめの鼻、口も小さい。
肌の色や髪の色など、細かい違いはあるにせよ、顔のパーツ自体は幼いころの自分と、ほぼ同じのような気がした。
(幼いころの顔ってあんまり覚えていないんだけどね……でも、たぶんこんな感じだったような気がする。成長すれば二十のアタシになりそうな顔ではあるよね……顔自体は転生しても変わらないのかな?)
自分の顔が大好きだというほどナルシストではないが、愛着はあったのでプラス要素だった。ただ体型にはコンプレックスがあった(主に胸に)ので、そこは変わってほしいと思った。
(今は四歳でもうすぐ五歳になるみたい……今まで転生前の記憶は忘れながら暮らしていたみたいね。えーと……あー、また頭痛くなってきた。色々思い出して、混乱しているようね……記憶を整理しましょう)
ゆっくりベッドに腰かけて、深呼吸をしながら目を閉じ、痛みが引くのを待つ。
痛みが引いたら、マナはざっくりと、どんな人生を歩んできて転生したのかを整理した。
(転生前のアタシだけど……元々は貧乏な家の生まれで……それが魔法を使う才能があったから、白魔導士になって……ちょうどアタシが生きていた時代では魔族との大戦があって、そこで活躍したから聖女とか呼ばれるようになったんだっけ……全然似合わなくて自分でも笑っちゃうんだけど)
魔族とは知恵の持った人間とは異なる種族の事を指す。
その種類は様々で、角の生えた鬼族、泳げる水族、雪を操る氷族など。全部で十以上の種族が存在しており、それらの種族が協力しあい一つの国を成しているので、人間は総称して魔族と呼んでいた。
次に転生後の記憶を整理する。
(……今のアタシは……マロン王国ってところのお姫様として生まれたようね……でも、人質として魔族に攫われて現在この部屋に監禁状態……生まれは良いけど境遇はどうやら悲惨だ。さっきまでは転生前の記憶がなくて、知能も子供だったから細かいことはよく分からないけど)
記憶に整理を付けて、疑問が頭の中に浮かび上がる。
「アタシ、何で転生したんだろう?」
転生をした理由と方法がどうしても思い出せなかった。
誰かに強制的にさせられて? それとも偶然? もしくは事故?
色々考えるが、どれもピンとこない。
「……何かやらないといけないことがあったから、自分の意思で転生したと思うんだけど」
その何かやらないといけないことが、全く思い出せない。
(な、何だっけー? 凄く大事なことだったよね…………うーん、絶対思い出さないといけないと思うんだけど)
前世での人生を捨てて、転生をするという決断をするという事は、よほど大事な理由があったのだろう。それを思い出せないというのは、不都合なことには違いはなかった。
頭を抱えて何とか思い出そうとする。
うーん……と唸りながら、絞り出すように自分の記憶を探るが、中々出てこない。
記憶を探ること一時間後、
「あー! 思い出せない、思い出せないよ!!」
思い出せないことにフラストレーションがたまり、マナは自分の髪の毛をくしゃくしゃとかき回して叫んだ。
「何だったかなぁ……自分から転生したんなら、絶対何か大事な理由があるはずだし……うーん……」
このまま悩んでいても、思い出すのは難しいとマナは考え、
「よし!」
と気合を入れて叫びながら、立ち上がった。
「思い出せないけど、こんなところで閉じ込められてては、出来ないことだと思う。まずはこの監禁状態から何とかして抜け出そう。そうするのが一番だね! 記憶はそのうち思い出せるでしょ!」
ポジティブな性格であるマナは、記憶が欠けていることに後ろ向きにならずに、これからの行動方針を決めた。
「脱出するには、出口を守っている看守を何とかしなくちゃいけない」
マナが閉じ込められている部屋には出入口の扉が一つ。
地下にあるので窓はついていない。
扉の前には、常に看守が一人いることを転生後の記憶があるマナは知っていた。
「あの看守の人怖いんだよなぁ~……白魔導士の力が使えればいいんだけど……どうも使えないっぽい」
転生前は凄腕の白魔導士であったマナだが、今は白魔法を使うのに必要な魔力が体の中から一切感じられなくなっていた。魔力が無くてはいくら魔法を知っていても、使う事は出来ない。
魔力は修行で増やすものである。そう簡単に魔法というのは使えるようにはならない。魔法が仕えるレベルまで魔力を増やすには、最低でも三年の修行が必要だ。それまでここに閉じこめられている気はマナにはなかった。
「とにかく駄目元で脱出を試してみよう。多分殺されないと思うし」
人質として閉じこめられているため、殺されはしないだろうと、マナは高をくくっていた。
扉の近くまで行き、コンコンとノックをする。
部屋の外から、
「何だ?」
ハスキーボイスの女性の声が聞こえてきた。
「トイレに行きたいの」
マナは閉じ込められている部屋にはトイレが付いていないため、行くためにはいちいち看守に声をかけて、同行してもらう必要があった。
今回はトイレに行くと嘘を吐き、外に出てどうにかして隙を作り、逃げるという作戦である。
扉が開く。
「出ろ」
看守はそう言った。
(こ、怖いなぁやっぱり)
数人は人を殺してそうな、怖い目つきの女性の看守だ。
背はかなり高く。そして腹筋が割れている。
鍛え抜かれた肉体を持っており、見るからに強そうである。
この看守は魔族の城にいるので、当然人間ではない。
背中から二対四枚の翼の白い翼が生えている。
翼の生えた魔族、翼族だ。
(確か翼族って、普通翼は一対二枚だけど、凄く強くなると、二対四枚になるって話を聞いたことある。この看守見掛け倒しではなさそうだね)
転生前は魔族と幾度となく戦いを繰り広げていたマナは、魔族の知識が豊富だったため、この看守が強いと一瞬で見抜いた。
隙を突くのは容易ではないと思ったが一応試してみる。
「あ! スライムだ!」
看守の後ろを指さして叫んだ。気を取られ看守は背後を確認する。
視線が自身から逸れた隙に逃げようと走り出すが、
「そっちはトイレではない」
驚異的な速度で看守は動き、マナの前に回り込んだ。
予想通り戦闘能力は高そうである。
(や、やっぱ無理か。よし、じゃあ次の手だ)
逃亡作戦はあっさりと失敗に終わるが、その場合の作戦をあらかじめ考えていた。
(名付けて同情させる作戦)
現在のマナの姿は、小さくてかつ可愛い。
そして、境遇が悪いというのは看守も理解しているだろう。
常に無表情で感情があるのかないのか分からないこの看守であるが、今の自分の境遇には憐憫の感情を抱かざるを得ないだろうということで、脱出に協力させるという作戦を思いついていた。
「トイレに行きたいというのは嘘です……ここから出たいのです」
目をウルウルさせ、上目遣いで看守を見た。
「お母様とお父様に会いたいですわ……」
慣れないお嬢様言葉で懇願するが、
「嘘ならば部屋に戻れ」
看守は一切表情を変えずに、マナをひょいと持ち上げて部屋の中に戻した。
「ち……血も涙もないの? あの看守……これ脱出できるの?」
あまりの情け容赦ない態度に早くも心が折れかける。
「あ、諦めちゃ駄目だ。ずっとここにいるわけにはいかないもの!」
ほかに何か脱出する方法が無いか部屋の中を物色し始める。
しかし何も見つからず、結局、進展はないまま、一日を終えた。
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